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躁鬱患者の人生消化試合

感情の垂れ流し。ほぼ日記です。

反出生主義3

こんばんは、クズです。

 

今日仕事でとてつもなく辛いことがありました。 病も悪化するばかりですし、繁忙期を過ぎたら辞表を出しに行こうと思います。

 

人生山あり谷ありとはよく言ったもので、苦労することばかりです。

だからこそ、こんな思いを子どもにさせる訳にいかないと思うようになりました。

ただ、どんな行動もエゴでしかないんです。

産む人も、産まない人もエゴなんです。

 もうみんな産まれてしまったのですから、お互いを受け入れられたらなと思います。

お互い理解はできないでしょうし、理解出来ないものを受け入れるには確実に多少の軽蔑がそこに生じます。

もうこれは仕方ないですが、そういう考えもあるね、程度で共存できたらいいなと思います。

反出生主義だと言うと、じゃあ死ねよと言う人もいます。確かに私は生物としては間違っていますが、そんな無慈悲な人に私は親が務まるとは思えません…

もしかしたら私と同じ基地外の集合住宅みたいな子どもが産まれてしまう可能性もあるんです。その時も死ねよと言いますか?

私の親は言いましたけどね。

(今はまだ関係がマシになったので心配してくれています。)

 

ただ唯一理解出来なかったのは、死にたい辛いと常々言っている友人が子どもは欲しいと言ったことですね。

この数十年何を見てきたんだと言いたくなりました。言いませんでしたが。

死にたくなるような世界に引っ張ってくる理由が分からない…

 

反出生主義も個人によって定義が違いますし、一概には言えませんが、私はできるだけ不幸な人間が減って欲しいんです。

自らの幸せの為に子供を生むというのならそれも仕方ないのかなと思います…

ただ、子供は奴隷ではありませんし、厳密に言えば他人なんです。おもちゃじゃないんです。

子どもが酷い目に合うかもしれない、その時守りきれるかどうか。

まあ、守りきっても須く死にますが。

幸せに人生を全うし、死をも受け入れられる、そうなればその子どもは産まれて良かったといえるかもしれません。

そんな子どもがどれだけいるでしょうか…こんなの理想論でしかない。

 ほとんどの人が刹那の幸福で数多の不幸を誤魔化して生きるしかないんです。

 

 私は特別子どもが好きな訳でも、人間が好きな訳でもありませんが、苦しむ人間は見たくないんです。

だから、子どもが欲しくて欲しくて仕方ない人に生むなとは言いません。

生まれてしまったら親には「おめでとう」と言葉をかけます。子どもには「ご愁傷様」と思いますが。

 

反出生主義に賛同しなくても構いませんが、何も考えてないのは本当に信じられません。

子どもを産むときは一人の人間が産まれるということ、環境、そして自分が親になるということ、将来待ち受けるであろう障害のことをきちんと考えて欲しいです。

私はそのことを考えたらとてもじゃないけど子どもを産もうとは思いませんが…。

 

本当の犬好きは犬を飼わないって割と名言ですね。